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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

月の入り

かかる間際にも、甲軍の物見は、どうして嗅ぎつけて来るものか、妻女山の動静をつたえて、

「敵はこの宵から荷駄荷梱をくくり始め、どうやら彼処の地をうごく気配に窺われます」

とか、また、

「越後勢は、明日陣払いして、本国へ引揚げる様子」

とか、いう情勢を齎して来る。

「さてこそ」

と信玄は、作戦の図に中って来たことを喜悦していた。

月の入り

甲軍の作戦内容は、大略、全軍を二分して、例の啄木の戦法で、敵の一面を搏ち、一面を捕捉殲滅するにある。

全二万のうち、一万二千人を、大正の備えとし、山の手の多田越えを経て清野に出、いわゆる正法攻撃をもって朝懸に堂々かかる。

べつの八千余名は、まったく方向を変えて、広瀬の渡しを越えて、川中島の平地に進出し、上杉軍が妻女山を降って、この方面へ崩れ立って来ることを必然と見越し、いわゆる奇法をもってこれを要撃するという兵略であった。

「時刻は、いま何刻?」

信玄は、度々たずねた。

侍臣のうちには天象、風向き、気温、晴雨など、そればかり測っている顧問がいる。それは儒者めいた老人で、いつも山本勘介入道道鬼の側にいた。

「亥の刻(午後十時)もはや下刻に近い由にございます」