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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

明暗刻々

てまえ、考えまするに、夜食の炊事の煙とぞんじます。かような雨雲の晩なので、常のようにのぼらず、城壁から低く低く立ちこめますので、初めはちょっと怪しみましたが……」

「よしっ。去れ!」

それは一喝の声に近い。何ものに衝たれたのか、唐琴も膝から落ちるにまかせ、謙信は、途端にぬっと身を起して、物もいわず、陣幕の外へ大股に出て行った。

明暗刻々

謙信は佇立していた。

陣場平――そこの本陣の位置から更に一だん小高いところの山鼻の端まで登って、凝然といつまでも立っていた。

近側の諸将や、旗本たちは、

「や。何事が起って?」

と、附近の幕囲、小屋の内から、わらわらと彼のすがたを追って来て、そして遠くにうずくまり合っていた。

「…………」

ここから見る千曲、犀川の上流、約一里弱の彼方に海津の城はある。山また山の遠くから、ここ妻女山の裾まで一帯につづいている広い盆地の平野もことごとく一望のうちにあった。

「……?」

謙信のひとみは、彼方の海津城の一点にむすばれている。いつまでもその凝視をつづけていた。

けれど宵は暗い、おまけに雨雲空。

その雲間から一瞬の月が映し、また一瞬に暗雲が閉ざした。