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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

――その頃、もうお互いの面には払暁の薄明りが見られていた。たしかに夜は白みかけているのだ。しかしいよいよ深い朝霧に物の色目も識分けられない。いや、こうした霧の中では、視線を塞がれるばかりでなく、物の音響すらよく通らないものであった。味方の内の馬の嘶きやすぐ其処らの物音すら極めて鈍くしか聞えなかった。

信玄は十分にそれを計算していた。平常の視覚と聴覚の通念から誤謬を生まないように今や細心に日頃の兵法の知識を五官に役立たせていたのである。――にもかかわらず、それでもまだ敵方との距離の推量に、遉の彼すら過誤を抱いていたことが、それから寸刻の後に明白になった。

「見て戻りました」

室賀入道はこれへ帰って来るなり大声で呶鳴った。すでに事態は急迫以上に急迫していたので、跼いて詳密に告げている間もなかった。

「越後勢は悉く、お味方を右に見て、幾重にも幾重にも、分厚い縦隊を押迫め、犀川へ犀川へと、こなたを傍目に見捨てて赴く態に見えますものの、実は、旋風のごとく大きな渦を八幡原いっぱいに描きながら、徐々とわが軍へ距離をちぢめつつあります」

聞くやいな信玄は、羽を搏つ鷲のように、身づくろいを示しながら、