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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
……なぜなればです。もし謙信公の御胸中に、使いの口上とはべつな謀略があるのに使いするなりと、使者自身が知っていたら、敵中にまかり出て、敵の国主に対し、そう恬然たる虚構を顔に持ちきれるものではありません。どこかに人間の正直なところが出てしまいましょう。それをまた、お見のがしあるようなあなた様でもないことは、謙信公以下、越後の者共、みな心得ぬいておるところでもあります。――たとえば、今年の春、謙信公のお留守に際し、またここ連年、越後遠征に、その疲弊せるを窺い、突然、約を破って、国境の割ヶ嶽を奪取なさるなど、猫にしても、狡い勘の長けた猫でなければ為し能わないことですからな」
もう一度、このあとで下野に、哄笑させる遑をおいていたら、信玄の左右の者か、或いは階下の諸将などが、彼の頭へ忽ち土足や唾を加えたかも知れなかった。
しかし信玄はさすがにそれを苦笑で留めていた。かえって万一の事を庇うように、下野の言が終るか終らぬうちその巨躯をぎしと床几から上げて、
「この舌長奴を、雲峰寺の堂衆にあずけ、信玄が凱旋の後まで、慥と、穴倉へでも抛りこんでおけと申せ。その余の輩もすべて獄に下げろ。