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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
きのう昼のうちから徐々に茶臼山を降りていた武田信玄の総軍は、布施五明、篠井村をこえて、ここ雨宮の渡しを前に、夜のうちに移行して、今朝見れば、中軍一団をまん中にして、十二軍団を五行に展き、
(妻女山の謙信にもの申さん)
といわぬばかり、無数の旌旗を植えならべて、陣々、鮮やかにその旗印をさえ敵の目に見せつけて来たのであった。
(近々と来つるものかな!)
と、妻女山でも、今朝は、朝雲の断れ間に洩る陽に、それを発見するなり、眼をみはり、小手をかざしているにちがいない。
俄然、甲軍のこの物々しい意志表示に対して、今のところまだ妻女山そのものは、朝霧の中にぼうとつつまれて、夜来の陣営はいと物静かに、殆ど眼醒めているような気はいすら望見できなかった。
しかも、そこと、こちら側との、距離はといえば、実に近い。
ここら辺り川幅は広いが、千曲の一水を渡れば、すぐ向うの岸は、妻女山の裾といってもよい。
それと――
やがて陽の高くなって来る程、両軍の距離感は縮められて来る。甲軍の旌旗を煙らしていた朝霧も、妻女山の黄葉や緑や紅葉をぼかしていた白い霧も、次第に霽れあがって、お互いの位置から、お互いの哨兵のうごきや繋ぎ馬の影などが、眺め合えるくらいにまで大気が澄んで来たからである。