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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

「いずれまた都においてお目にかかりましょう」

と、自信をもっていった。大きな将来の自信をもって。

しかし当面の小田原一城も、容易に陥落しなかった。理由は、逸早く甲州から信玄の有力な部隊や参謀が城内に入っていて、氏康に協力していたからである。

それらの甲州参謀は、

「なおなお兵力も軍需も、いくらでも甲州より後詰申さんとのお館の仰せであれば、飽くまで、この要害に拠って、守るを主とし、城門を出て戦うことはせぬが得策」

と、主張していた。

寄手をここに釘付けにし、わけても遠征の越後勢を疲労せしめ、謙信をしてまったく施す策なからしめんとする方針だった。

五月になった。

しかも城壁の一角すらまだ奪れない。城方の計は図に中ったといえよう。謙信はついに一度軍を退いて、味方の倦怠を一新し、敵の変を待とうとした。

彼が、上杉憲政とともに、鎌倉八幡宮へ参詣したのは、この期間であった。憲政は、その機会に、

「以後は自分の同族ともなったつもりで、上杉の姓を名乗られよ」

と、すすめた。

それまでの謙信は、あらためていうまでもなく、管領の一被官で、姓は長尾、職は越後の守護代であった。