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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
それからずっと――
彼女は、親切な老禰宜の世話になって、傷口の養生をしていたが、鉛丸の除り方が素人療治であったせいか、左の脚の甲からくるぶしがひどく腫れあがり、今以て十歩とあるくこともできないのだった。
「神主さま! お内儀さま」
返辞がない。彼女は這った。そしてなお次の間へさけんだ。
「いよいよ戦です。すぐこの近くで戦われそうです。はやく今のうちに、お子達をどこかへ移さないとお怪我をしますよ。流れ弾や、反れ矢が、こちらへも飛んで来ましょう……。お内儀さま、お眼ざめですか」
脚が痛む。起とうとするが起てない。這い寄って、襖を開けた。
そしてまた、もう一間を、這って行った。
返辞のない筈。老禰宜もむすめも、その子どもも、どこへ行ったか、寝部屋は藻抜けの殻になっている。彼女はちょっと茫然としたが、またかえって安心もした容子だった。逸早く、むすめは子を負い、むすめの良人は老禰宜を扶けて、どこかへ避難したにちがいないと察したからである。
「ここへ陣したのは、甲軍であろうか、越後勢か?」
彼女自身は、この一軒家に、ただ独り取残されたことを、さして悲しむふうもなければ、寂しむ面も見えなかった。