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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
死中生あり
こよいの霧はすべて血か。名月の面にも墨を吹いたような凄気が漂っている。
「左馬介。ここはどこか」
「三牧の畠の瀬かと思います」
「さても、遠く退いたのう」
憮然として、鞍上から月を仰いだ。そしてしきりと、謙信は、片目をしばたたいた。額から頬へとかけて浴びている血しおが睫毛に乾きかけて眼を塞いでしまうらしかった。
「そち一名か。続いて来たものは」
「左様に覚えます」
左馬介も、暗然とした。――が、謙信は何かおかしくなったように突然肩をゆすぶって笑った。
「川を渉れば、高梨山のふもと。中野筋へ出るの。さらば渉ろう。左馬介、瀬を見よ」
「はいっ」
この辺は、さして深いとも思われない。左馬介は、静々、口輪を曳いて馬を川へ導いた。
水は氷のように冷たい。
そして、白い波が、鞍を洗ってゆく。
謙信は、つぶやいた。詩を吟じるように。
「死中、生アリ。生中、生ナシ。――嗚呼、珍重珍重。秋水冷やかなるを覚ゆ。謙信、なお死なずとみゆる」
死中、生アリ
生中、生ナシ
この語は何かにつけて謙信のいう日常語だった。これについては、彼の家臣はこういう一話を聞いている。
まだ謙信が二十四、五歳のころ、春日山の城下で、ひとりの老僧に会った。