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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

「――見えないはず、彼は和睦のお使いとして、ひそかに甲州へ赴いている」

と、声を大にして告げたのだった。

そう物事には愕かない面がまえばかり揃っていたが、これには唖然というよりは、頭上から磐石でも加えられたように、ぐっと、いちど息を呑んでから、眼を大きくして、

「えっ。ほんとか」

と、いった。

「かような重大事が、戯れに口に出せようか」

と、図書之助は、大小にかけていいきった。

かれのことばによれば、かれの叔父にあたる黒川大隅守も先頃からいなくなっている。病中病中といっていたが不審のかどがあるので、従弟妹にあたる娘をおどかしてついに真相を聞き出したというのである。

「では、斎藤下野について、黒川大隅も甲州へ行ったというのか」

「さればだ。密々、下野に正使を仰せつけられ、副使には黒川大隅が添い、もう十日も前に、この春日山を出立しているという」

「……知らなかった」

「知れようわけはない。もし漏れては、家中の異論や動揺まぬがれ難しと案じて、老臣衆が相計って、極秘裡にお使者を甲州へ遣ったものらしい」

呆れはてて次のことばも吐けないでいる顔ばかりだった。――が、そのまま冷却できるような薄い血の気ではない。