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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
夕暮、安田の渡しとよぶ川筋へかかった。振顧ると、小一町ほどうしろに、がやがや声をあげながら野武士のかたまりが騒いでいる。笑止なことには、近づいては来ないのである。虚があったら咬みついて来ようとしている狼の群に似た。
「よいものがあります。あれへお駒を曳いて渡りましょう」
対岸へ向って、こちらの堤から、太い綱が一本張ってある。その下に繋いであった筏に馬と人は乗った。
その太綱を手繰って、筏が川の中ほどまで出たとき、うしろの堤の上にまた四、五十人の人影があらわれた。すぐ追って来た野武士たちである。
「何か吠えておりまする」
筏の上で、喜兵衛と左馬介が笑ったとき、二、三本のヘロヘロ矢が飛んで来た。鉄砲も持っているらしいが、弾が無いとみえる。ただ白い歯を剥き出している顔ばかりたくさん見える。
筏は、悠々と、岸に着く。
謙信は馬の背に移りながら、
「左馬介。その渡し綱を、斬っておけ」
と、命じた。
左馬介が、太刀を抜いて、太綱を切ると、ばしゃッと、水面を打ったそれが、大きな弧を描いて、一方へ流れた。
白い歯だの、たわしのような頭だの、大きな手の影などが、対岸の堤のうえで、再び口々に何か吠えたり、罵ったり、地だんだ踏んで躁いでいるようである。