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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

世評是々非々

何故かは覚えず、ただ双頬にそれが濡れてくるのだった。

世評是々非々

春日山へ総引揚げの後も、謙信以下、上杉方の家中はみな、

「お味方の勝ち軍だ」

「敵方の信玄父子は傷ついた」

「甲州の一族大将は、枕をならべて討死したが、それに反して、お味方には一将の首級も敵に取られていない」

と、あくまで自軍の大捷を信じて疑わなかった。

ところが、同様にまた、武田軍のほうでも、

「甲軍大勝利」

を謳歌して熄まず、八幡原に踏みとどまって、堂々、勝鬨の式まで行って、甲府へひきあげた。

そこでこの永禄四年の川中島の大戦というものは、いったい甲越のいずれに真の勝利があったものか、武門はもちろん世上一般の論議になり、ある者は、謙信の勝ちといい、ある者は信玄の勝利といい、当時からすでに喧しい是々非々が取交わされていたらしい。

太田三楽入道は、戦国の名将として、尠なくも五指か七指のうちには数えられる兵学家の一人であるが、その人の戦評として、次のようなことばが伝えられている。

「川中島の初度の槍(明方より午前中の戦況)においては、正しく十中の八まで、謙信の勝目なりといっても誇張ではない。陣形から観ても、上杉勢の先鋒はふかく武田勢の三陣四陣までを突きくずしておる。