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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

歌ごころ

「いやいや、徒然のまま、ほんの慰みの書を手にしたまで」

「和歌のお書物のようですが」

「近衛前嗣卿から贈られた古今です。みずから和歌を詠もうなどとは思わぬが、兵馬倥偬のあいだにも、歌心は有りたく思う」

「歌心と仰せられますと」

「さて、どういうてよいか。……大和心と申さばややそれに似かよう気もする。もっと小さくいうならば、剛に対する柔、殺に対する愛、刹那に対する悠久、動に対する静」

「すこし分りかけました」

「年々の合戦、日々も戦い。自然心は一途となる。しかしこの戦国の果てなき末を思うと、たとえば長途を行くが如く、高き山へ登るがごとく、呼吸の調べが大事と思う。吐く息、吸う息、そして長きを保ち、乱れを知らぬ呼吸。つくづく思う。その大事をな」

「きのうは、単騎、信玄の中軍へ馳せ入られ、きょうは、静夜に、そのようなお考えを抱かれますか」

「たとえば、琴の絃も、懸けたままにしておいては、音がゆるむ。弓は、射るときのほかは、弦を外しておくものぞ」

「外せば、外したまま懸けるを忘れ、懸ければ外すことをつい忘れ。なかなかその心機を転じることが、われらには難しゅうござりまする」

「されば、凡夫われらには、暁けては、兵馬を見、燈しては書に親しみ、血腥い中にあるほど、歌心も、欲しいとするのじゃ。