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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

惜しい。寔にさびしい」

家中の武将のうちには、この訃を伝え聞いて、

「絶好のときだ。甲府の一門宿将は、おそらく暗夜に燈火を失うたような滅失の底に沈んでいるにちがいない。いま大挙して征けば、彼の全領土を一朝に覆すは易々たるもの」

と各※(二の字点、1-2-22)寄って、策を謙信に説くものもあった。

謙信は笑った。

「止めよ、止めよ。天下の蔑みを求めるだけだ。死後一朝にして覆るような甲州であったら、その柱であった信玄の死も惜しむには足らん。しかし、三年間はむしろ前にも増して甲府は金城鉄壁であろう。三年先のことは、誰にもわからぬ」

その後、謙信は、海津の城まで重臣を遣って、篤く信玄の死を弔わしめた。

その弔問の使者の帰って来るころ、信玄の死の実相もつぶさに知れて来た。果たせるかな、さすがに彼の死は彼らしく、死後あらゆる方策をその帷幕の者と一門にいいのこして、甲山の旗幟が為に急衰を呈すようなことはなかった。

信玄の病気は、浜松城を包囲して、いよいよ、三河にまで働きかけていた軍旅のうちに起ったものである。その死が急だったし、折も折だったので、いろいろ異説を生じ、諸国から懐疑されたが、野田城の囲みを解いて、急遽、甲府へ帰って来る途中、いよいよ重態に堕ちて、躑躅ヶ崎の甲館へもどったときは、もう遺骸であったというのが真相らしい