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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
それもなく。
悠々、彼は小田原城の攻囲を解いて、上州から三国越えを経、遠く越後の春日山へひきあげてしまった。
――出直すか。
と観ているに、容易に、その気はいもない。越後へ入れてあるたくさんな密偵からも、そのうごきの見えない証ばかり報じてくる。さてはと、信玄は、
(一昨年このかた、越中への出陣、つづいて無理な上洛、また半歳以上にのぼる相州への遠征など――打続いての東奔西馳に、さしもの謙信も、つかれ気味とみゆる)
と内心、いささか安んじたり、また謙信の用兵の拙を、嗤っていたりしていたところである。
越後の臣、斎藤下野なる者が、副使黒川大隅以下をつれて、この甲府へ入って来た。
そして、謙信の書を呈し、
「主人謙信より篤と申し授かって参った議は、事重大にござりますれば、お館へ御直談申しあげたく、いつなりとお目通りの日までお待ちいたしておりまする」
と、宛てがわれた城外の使館にきょうまで、呼び出しを待っていたものである。
謙信の書簡は、使者の信任状にひとしいもので、目的には触れていない。ただ辞句鄭重に四年まえに結んだ和睦のことに言及して、以来、異心なきにかかわらず、自分の遠征の留守に、割ヶ嶽の城を攻められたのはいかなるわけか――と、極めて、慇懃に糺しているのである。