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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
虚勢らしい物々しさなども感じられない。
しかも、百坪ほどな幕囲いの周りは、きれいに箒目さえ立っていた。まるで隠者の棲む山中の閑居にも似ている。きれいに掃かれた土の上には松落葉がこぼれていた。
ここに謙信が陣したのは十六日頃、そしてきょうは二十八日だった。そのあいだには、雨も降り風も吹いた。従って雨露を凌ぐに足るほどな仮屋の屋根も囲いのうちには見える、杉皮、檜皮などでそれを葺いてあった。
「お使者どの。では、われらはここで退がり申す。あとは使者迎えの御案内について参られい。すぐそれに見ゆるが、謙信公のお在であるお座所でござれば」
弥太郎たちは、役継ぎを済ませると、麓のほうへ降りて行った。――当然、伝右衛門の身は、和田喜兵衛の手にうつり喜兵衛は彼を導いて、幕露地のあいだを幾筋となく曲って行った。
「お控えを」
と、促されて、使者の伝右衛門は、いよいよ眼のまえの薄い布一重の向うに謙信が居ることを知った。
与えられた楯の上に、彼はしずかに坐った。楯は陣中の敷物であり、座を取る場合は武者坐りであった。いわゆる胡坐を組むのである。
「…………」
正視している目の前の幕が音もなく取払われた。