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さんごくし

三国志

吉川 英治

06 孔明の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 161,356 字 · 323 页

青空文庫

「…………」

けれど彼の淋しげな眸は、北の空を見まもったまま、如何ともなし難かった。涙々、頬に白いすじを描いた。睫毛は、胸中の苦悶をしばだたいた。

諸臣みな、彼の面を仰ぎ得なかった。しかし程、蔡陽の輩は、

「いま関羽を無事に国外へ出しては、後日、かならず悔い悩むことが起るに相違ない。殺すのは今のうちだ。今の一刻を逸しては……」

と、ひそかに腕を扼し、足ずりして、曹操の寛大をもどかしがっていた。

曹操はやがて立ち上がった。

そして、あたりの諸大将に云った。

「関羽の出奔は、あくまで義にそむいてはいない。彼は七度も暇を乞いに府門を訪れているが、予が避客牌をかけて門を閉じていたため、ついに書をのこして立ち去ったのだ。大方の非礼はかえって曹操にある。生涯、彼の心底に、曹操は気心の小さいものよと嗤われているのは心苦しい。……まだ、途も遠くへはへだたるまい。追いついて、彼にも我にも、後々までの思い出のよい信義の別れを告げよう。――張遼供をせい!」

やにわに彼は閣を降り、駒をよび寄せて、府門から馳けだした。

張遼は、曹操から早口にいいつけられて路用の金銀と、一襲の袍衣とを、あわただしく持って、すぐ後から鞭を打った。