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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

「お、お父上様ではございませんか。あなた様は甲州のお旗本、初鹿野伝右衛門様でございましょうが」

「ちがう」

「いいえ、ちがいません」

「ちがう、ちがう」

「でも、鎧の胸当にある御紋は、初鹿野家の抱茗荷の御紋です」

「抱茗荷は他家にもある」

「無いと記憶えておりまする。甲府の家を離れてもまだ四、五年の年月しか経ちません。家の御紋を忘れてどうしましょう」

「何者だ、そちは」

「鶴菜でございまする。父上さま。その御眼ざしや、お声だけでも、実の子には分ります。なぜ、鶴菜かと仰っしゃっては下さいませんか」

「知らぬ」

「むごい仰せです。まだ年も十四の頃、お父上に伴われ、善光寺に詣でた途中、にわかに厳しいおいいつけをうけ、甲州の御為じゃ、主君への忠義じゃ、汝を捨てる、越後へ拾われて行けと、わたくしの身は、世話人の手にかかり、春日山のお旗本黒川大隅さまの家へ奉公にやられました。……そしてお別れ申すとき、お父上から懇々申しつけられたとおりを守って上杉家の出来事、御城下のうごき、御家中の取沙汰など、絶えず事細やかに、お文を以て甲府へ密報しておりました……。それなのに」

どこかで、弾音がした。