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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

(――敵も槍ぶすま、味方も槍ぶすま、にじり足に詰あひ候ふて、たがひに声ばかり数十度も交し、やがては、押太鼓も耳には聞えず、わが声も人のもわかたず、眼くらみ、槍もつ手は硬ばり、身心地も候はず、一瞬、天地も真つ暗に覚えられ候ふ時、はや敵の顔も、そこにありあり見え申しながら、なほ敵の列よりも一歩も出る者なく、味方の列も槍の穂ばかりそろへ候ふて一足も駆け出る者はなく、こゝは千仭の谷間か、虚空かとばかり、足もすくみ、心神くらめき候ふとき、誰ともわかず、何の某と名のりざま、一番にをどり出てむらがる敵の中へ、体当りに突き入る者こそあれと覚ゆる一刹那より、初めて、われも忘るゝこゝちと共に、その勇者に励まされて、敵の中へ続いて駆け入るにて候ふなり。故に、一番駆けの功名こそ、あだおろそかには獲られぬものなり。武辺巧者のものとて、成し易からず、日ごろ勇力ありとて、その場にのぞみては、凡そはひとしきものにて、おのれなども幾たび戦場を踏みても、初手ばかりは、身の慄へを如何ともとどめ難くおぼえ候ふ)

軍兵衛ほどな武者でもこういっているのである。後のこのはなしは、大坂夏冬の陣に、松平家の陣場借りをして、勇戦したときの体験を訊かれて人に語ったものであるが、おそらく彼といわず、大坂陣のときといわず、合戦の始めというものは、こうもあったか