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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
「わしの目鑑でいいつけたものを、余人に命じるほどならそちにはいわん。疾く、甲府へもどれ」
いい捨てるが早いか、そのすがたは、乱軍の中に駈け入っていた。
越後武者の野尻弥助、関川十太夫、柏蔵人、熊坂大伍などの輩が、
「あれぞ、典厩」
「信玄の弟」
と見るや、他の相手をすてて、
「われこそ」
と、突いてかかり、
「そのお首、賜わらんには、武門のほまれ、相討して果てるも満足」
と、立ち塞がり、また追いかけ、飽くまでねばり強く、つき纏った。
典厩は、槍を取られた。すぐ陣刀をぬいて、熊坂大伍を斬った。
関川十太夫が、
「お見事なり。さあれ、我には」
と、斜に、槍をのばした。その槍は、典厩が思わず、顔のまえで掴んだ為、
「おうほっ」と、力まかせに引かれて、駒の首を越えて、前へもんどり落ちた。野尻、柏などが、争って、首を掻こうとするとき、典厩部下十数名が、一かたまりに殺到し、乱刃乱走の下に、典厩のからだは見失われてしまった。
「逃げたっ」
見つけたとき、典厩は、千曲川のすぐそばまで、馬を打って退いていた。――届かぬと見たので、越後兵の一人が、鉄砲を放った。典厩は、川の中へ、しぶきを揚げて落ちた。