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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

(いや、味方七分の勝利と見て、無事の間に、引揚げたのはむしろさすがに上手というもので、難ずるには当らない)

という明断を下している。

事実、この時刻にはすでに、信玄の本陣は八幡の社を払って、今暁渡った広瀬を越え、旗本のこらず川中島を去っていたので、主力よりも先に戦場を退いたわけではなかった。

あとに、累々としてなお残されていたのは、その日の傷負いと戦死者だった。夜露にまみれながらなおその辺に立ち働いている人影は、死骸や負傷者を、各※(二の字点、1-2-22)の陣の方へ運んでゆくあと始末の兵だけである。

犀川の岸に、大旗を立てて、なお集まる味方を待っている甘糟近江守は、それから一刻あまりも、いんいんと貝の音をふきつづけていた。

その音を慕って、ここかしこから集う残兵が三千余りとなると、やがて川を北へ渡って、葛尾に宿営した。

この日、朝から七、八時間にわたる激戦に、両軍の戦死は、

甲州方討死 四千六百三十余人

越後方討死 三千四百七十余人

という記録もあり、またべつなものには、甲軍将卒をあわせて三千二百余。上杉方三千百十七を失う、という古記もある。

ただし、その数のいずれにしても、甲軍側は、武田信玄もその子太郎義信も負傷し、一族の典厩信繁、ほか諸角豊後守、山本道鬼、小笠原若狭などの名だたる幕将たちも多く戦死し、