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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

と、振向いた。

馬の口輪をつかみながら、左馬介もひとみを凝らした。白い月の下を、踊るが如く馳けて来る者がある。近づくや否、その者は息あらくいった。

「お館っ。お館でいらせられますか」

「お。和田喜兵衛か」

「あ、あ」

主君の無事を見たとたんに、喜兵衛はそれへ腰をついてしまいそうになった。彼もそこの河に浸ってこれへ渉って来たので、濡れ鼠であったが、頭部や顔面の血しおは洗われていなかった。

「余の者共はいかがいたした」

謙信に訊かれて、彼は、ふたたび気をひき緊めて答えた。

「和田兵部は、おあとに踏みとどまり、敵大勢を斬って、ついに最期を遂げました」

「兵部も、討死したか」

「また、宇野余五郎どのにも……」と、いいかけて、馬の口輪と並んでいる左馬介の顔を見ながら、喜兵衛は口をにごした。

宇野余五郎はそこにいる左馬介の弟だからである。

「和田どの。余五郎も、果てましたか」

その兄の顔いろに、ぜひなく答えた。

「されば、乱軍のなかに、目ざましい働きをしておられたが、満身数ヵ所の重傷を負い、苦しげにみえました故、それがしが肩にかけて、ついそこの三牧の河の瀬まで来ましたところ、河の中ほどまで渡って来ると、それがしの耳元でこういうのです。