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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
いまから十余年前までの村上氏というものは、北信濃一円を威令して、坂城の府、葛尾の城を中心に、祖先鎮守府将軍源頼義の一族が末裔として、誰も仰ぎ敬う位置に栄えていたものである。
それが、天文年間の半ばごろから、年々、甲斐の武田氏に蚕食され、上田原の戦をさいごとして、本城は落去、一族は離散、夫人は千曲川に身を投じて果てるなどという、世が静かなら有り得ない惨たる滅亡を告げてしまった。
天文二十二年の八月。
義清は、殆ど身ひとつで、敗軍の中から遁れ、この越後へ来て、
(救って下さい)
と、謙信にすがった。
時に、謙信は年まだ二十有余。この名族の果てが、膝を屈して、義に訴えるすがたを、何で、すげなく見ていられよう。そのとき彼が義清に与えた言葉は、
(よろしい。御安心なさい)
明瞭な、然諾の一語だった。小国辺隅、しかも士馬少なく、産業もふるわない北国から起って、謙信が、甲州の強大武田家と、以来、殆ど年々といってよいほど、戦雲を曳いて対峙することになったのは、実に、この一羽の窮鳥が、越後へ入国したのが抑の端緒である。機ッかけである。謙信対信玄の相剋はここに起因を孕んだものである――とは、世上一般も、越後の人々も、甲州方でも、あまねく信じているところだった。