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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

はるか麓の道すじや民家や田園にいたるまで、旗や大旆や馬のいななきに煙っていた。それが秋の午過ぎを、揺々と、動くが如く、動かぬがごとく、いわゆる戦気満々に、発向――の一令を待っているのが、武者のみか、馬までが、もどかしげに見えるのだった。

そうした中を、斎藤下野たち十名の使者の一行が、数珠つなぎに、曳かれて来たのである。当然な反抗心として、

「あいつか」

「あいつだ」

「殺してしまえ」

「もとより山上で血まつりだ」

「のめのめと、舌も噛まずに、曳かれて来たかっ。腰抜け」

道も塞ぐばかり、前へ立って、甲州兵や下人たちが、それを罵り喚くのだった。この使者が、舌をふるって、味方の首脳に、和談を信じこませ、その間に、越後勢が突出して、すでに要害の地を占めたと――雑兵までがうわさに洩れ聞いているのでその激昂は一層なのであった。

片目のわるい下野は、敵中のこの空気も、半分しか眼に見えないので気楽だというような顔している。その顔がまた憎くてならない甲州兵は、

「片眼め」

「びッこめ」

と、牛のわらじなど投げつけた。しかしさすがに山上の境内に入ると、そこには、謀将旗本たちが多く居て、秩序も一そう厳粛なので、さしたる野卑も聞えなかった。