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うえすぎけんしん

上杉謙信

吉川 英治

「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页

青空文庫

この人こそ

と、答えた。

「あ。そうか」

謙信はふと厳粛に眉をひき緊めた。思い出したからである。この斎藤下野なるものの祖先は越後ではなかった。この厩橋城から数里の東にある生品郷の産れである。上毛の平野生品の郷は、建武二年、時の朝賊足利尊氏を鎌倉に討つべく新田義貞とその一族が天兵たるの忠誠を誓って旗上げしたところとして誰知らぬものはない。

わけて謙信は、この上州へ出馬してから、二度もその地へ行って義貞の霊を弔っていた。彼は、建武の忠臣が、いかに憤って草莽からふるい起ったか、あだには把らぬ弓矢を敢て把ったか、そしてついに国に殉じたか――を征途の夜々の眠りにも考えずにはいられなかった。そして草むす生品の辺をさまよい、幾多の英魂に心からな血涙を手向けては帰った。二度目にはその地の辺に仮ながらの宮祠を建てたほどである。

この人こそ

由来、謙信は多感な質である。激しやすく感じやすい。二十歳ごろまでは、まま女のごとく泣くことすらあった。その前後には、多感なるばかりでなく、多情の面も性格に見られたが、翻然、禅に入って心鍛をこころざしてから一変した傾きがある。といっても多情多感な性は、もとより持って生れたもの、禅によってそれが血液から失くなるはずはないが、その強烈を挙げて、将来の大志へ打ちこめて来たのである。