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けんなんじょなん

剣難女難

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页

青空文庫

二人はしばらく無言になった。果てしもない渺茫の闇へ瞳をやって、朝の光りを待ちこがれていた。

すると、いつか遠く低く、丹波連峰の黒い影が、明るみかけて来た空へ、波状にうねった山脈線だけを描き出してきた。

「おッ……あの赤い火! 日の出かと思ったらそうじゃないよ……」

とお延はその時不意に、身を乗り出して叫んだ。新九郎もはッとして女の指先へ眼をやってみると、成程、はるか暁闇の空を掠めて重畳の山間から、一抹の赤い光りがぽッと立ち昇っているのだ。それは太陽の君臨する前触れかとも見えたが、たちまち団々たる黒煙の柱が空へ巻き上がってきたので、あきらかにそうでないのが知れた。

「火事ではないか」

「いい気味! 山荘が焼けているのだよ……」

お延はニタリと凄い微笑を泛かめた。新九郎もさては後の混乱に紛れて、手下の者が火を失したのであろうと思い合せ、あの火焔の底に白骨とされる戸川志摩の死が無意味でなくなったのを欣んだ。そしてひそかに彼の冥福を念誦していた。

「もう行きましょうかね。足許も見えて来たようだから……」

とお延は新九郎の手をとった。

「では出かけるかの」

「足が痛めるでしょうけれど、里へ行けば駕があるから急がずに歩きましょうよ」