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けんなんじょなん

剣難女難

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页

青空文庫

忍ぶ竹枝男女虚無僧

一

忍ぶ竹枝男女虚無僧

一

夜風に身ぶるいした大樹の梢から、バラバラと月光の村雨が降りこぼれた。――そこの辻堂の縁には新造身内のために、誘拐されてきた女が、縛められた体を雫に打たれたまま抛り置かれているのであった。

やや久しくじっと瞶めていた新九郎は、梢を洩るる月光が、女の顔に揺れ動いた刹那、さっと色をかえて、なおも眸をこらしている。と同じように、由良の伝吉も、息をのんで見透かしていた。

なぜ、二人がこうまで愕いたかと云えば、猿轡で、顔の半ばはつつまれているが、その女の、眉、生えぎわ、どこともないすべての線が、千浪に生写しであったから。

けれど、この地上にどんな奇蹟があり得ようとも、千浪が世にいる筈はない――と新九郎も固く信じきッているし、伝吉もあれほど手分けして、死骸まで探したくらい。もとよりその人が、現世にあろうなどとは夢にも思わないところだ。

露にも思いはしない、信じもしない――しかし、今、二人の眸に映っている実在は、あくまでそれを裏切っている。見よ、千浪に瓜二つというよりは、ほとんど、その人の変り果てたと同じ姿が、利かぬ手足をいて、縁の上で、しきりに猿ぐつわを外そうとしているではないか。