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けんなんじょなん

剣難女難

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页

青空文庫

また只今そちは、城下住の一浪人と申したが、桔梗河原の試合この方、忠房は家重代の家臣とも思うている。たとえ当家に後日の累があるとなしとに関らず、決してそちを見殺しにはならぬ。とにかく、無念ではあろうが、今宵は一応下屋敷へ戻って千浪と共に篤とあとの思案をし直したがよかろう」

忠房は近習にも言い含めて、無理に二人を愛宕の下屋敷へ連れ戻った。――後は寂寞とした闇の風音、しばらく来かかる人もない。

と――羅漢堂の後ろから、静かに姿を現わした者がある。さっきから、じっとそこに息を殺していた春日新九郎だった。

今夜という今夜、彼には珍しく酒の気もなかった。酒の気のない新九郎は、昔ながらの純情な人間だ。

「ああ、お痛わしい……、兄上、千浪殿」

爪先伸びをして、遠い闇の裡を見送ったが、忠房主従の影も二人の姿も、もう間近い所には見えなかった。

始終のいきさつは、最前からの様子や、途切れ途切れの話し声で、新九郎にも残らず読めていたことであろう。

「千浪どの、兄上、おお兄上――その大月玄蕃は、新九郎がきっと討って差し上げますゆえ、どうぞ一日も早く、郷里へ帰って静かに余生をお送り下さいまし」