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けんなんじょなん

剣難女難

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页

青空文庫

それは新九郎だった。――武家侠客御曹子の名を翻然とかなぐり捨てた春日新九郎であった。

彼は小半丁来る間に、二、三度下屋敷の方を振り顧って、心のうちの別れを告げた。そこにある松平忠房や、千浪や、兄の霊にこの先き五年か十年か二十年か、自分にも分らぬ永い別れを告げて立って行く――

鐘巻自斎! 鐘巻自斎! 今日からその名が怖ろしいものであってはならない。彼の指して行く行くてはいずことも分らないが、目ざす生涯の対手の名は富田三家の名人鐘巻自斎だ。

大妻籠無極の太刀風

一

信州美濃の山境、木曾の妻籠峠に、この二、三年前から、不思議な行者がこもりはじめた。

大妻籠の峰から落つる男滝女滝を浴びて、りんりんたる鈴を振っているかと思うと、忽然と五社明神の森に隠れて、三尺余寸の木剣を打ち振り、大樹の枝をパキン、パキンと飛び打ちに引っ裂いている。

初めは、いかに気合いを劈かせても、細い小枝さえ離れなかったが、一念の妙通と言おうか、この頃では、地上七尺も跳び上がって、樫の太枝をやッと打つと、あたかも、名刀を以て裂いたようにキクリと斬れる。

月晃々たる霜の夜も、雨蕭々たる夏の朝も、行者の必死な練磨は間断なくつづいた。