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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

縁台の人たちはぜんぜんなにも気づかなかった、将棋に負けた若い船頭の一人が、駒を投げだして大きな欠伸をし、「おらも一杯やんべえかな」と云った。そのすぐあとに、つまり若い船頭が一杯やるかなと云って立ちあがったとき、突然その騒ぎが起こったのである。

「逃げるな」という叫びで、その騒ぎは始まった、「逃げてもだめだぞ、顔はわかってるぞ」

縁台の人たちは総立ちになった。

その叫び声は三十二号船から聞えて来た。いってみると、船の舳先や艫や、船室の周囲のあゆみで、人が右に左に走りまわってい、船板を踏み鳴らす音に続いて、高い水音が聞えた。

「手入れだ」と漁師の一人が云った、「博奕を嗅ぎつけられただな」

月光の下で、黒い人影はすばやく走りまわっていた。さっきの水音は誰かが川へとびこんだのであろう、一人はもやってあるべか舟へとび移り、櫂を取って漕ぎだそうとした。両手で持った櫂に全身の力をこめて突っ張るのだが、べか舟は横揺れをするばかりであった。

「こら戻れ」と三十二号船の舳先のところで、一人の男(それは私服の警官だった)が叫んでいた、「逃げてもだめだ、戻って来い」

べか舟の男は振り返って相手を見、べか舟が少しも動いていないこと、そして、それがまだもやったままであることに気づくと、おそまきながら、櫂を持ったまま川の中へとびこんでしまっ