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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

土堤の春

ている。いま、極めて深いところから、かすかに、いのちの囁きが彼女の眠りを呼びさまそうとしているのだ。

「ああつまんね」と繁あねが云った、「いくら見てえても釣れやしねえに、おらいくべ」

私はまたタバコに火をつけた。

「へたくそだな、先生は」とお繁は立ちあがりながら云った、「こんなへたくそな釣り、おんだらまだ見たこともねえ」

私は黙って沼のほうを眺めた。お繁の歩き去るのが聞え、まもなく、彼女のうたうわらべ唄が聞えてきた。

「――向う山で鳴く鳥は、ちいちい鳥かみい鳥か、源三郎のみやげ、なにょうかにょう貰って、金ざし釵もらって……」

土堤の春

初午の宵の七時ころ、「蒸気河岸の先生」は窓際の机に向って原稿を書いていた。田圃を隔てた町のほうから、太鼓や笛の音が、高くなり低くなり、跡切れたかと思うと急に拍子を早めたりして、聞えて来た。先生はにやにやしながら独り言を呟く、書いている史劇の中のせりふが気にいったらしい。

安倍晴明(胸を反らせて)「私は博士安倍晴明だ」

弘高(片手をあげて)「神慮汝の上に安かれ」(大股に去る)

声に出して読んでみてから、火鉢にかけてある鍋のほうを見た。