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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

土堤の夏

ていた。すると「千本」の長が譲歩してどなった、「先生、銭でなくってもいいだよ、蜜柑でも餅でもいいだよ」

そしてしんとなった。電燈の光で明るい窓をみつめながら、じっと反応を待っている子供たちの、一人ひとりの顔が、先生には眼に見えるように思えた。

「いくべいくべ」と他の少年が云った、「先生はきっとまた根戸川亭で飲んでるだ」

「押すな」と長の声がした、「押すなってえにえーばちばらすぞ」

かれらはがやがや騒ぎながら、蒸気河岸のほうへ戻っていった。先生は難をのがれてほっとし、机に両肱で凭れ、手で額を支えながら眼をつむった。

「おーかんけ おーかんけ」川下のほうへ遠のいていく唄声が聞えて来た、「おいなりさんのおーかんけ おぞーにとおーあげ おあげのだんからおっこって……」

土堤の夏

私は大きな写生帳と鉛筆箱を抱え、経木の海岸帽子をかぶって、土堤の上を家のほうへと歩いていた。沖の百万坪へスケッチにいった帰りで、洗い晒しの単衣は汗のため肌へねばりつき、尻端折りをしなければやすらかには歩けなかった。あまり優雅な譬えではないが、女性の臀部と猫の鼻も土用の三日だけはあたたかい(失礼)、という通言があるそうで、その日はおそらくその「三日」