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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
信玄は呼びたてていた。
「浦野民部。民部左衛門やある。すぐ物見してまいれ。辞儀無用っ。早く」
あっと、答えがするとすぐ、民部左衛門の半身が陣幕の上に高く見えた。馬の背にとび乗ったのだ。
一鞭加えたと思うと、またたくまに引返して来た。ずしと鞍からとび降りると、すぐ信玄のまえに跼いて告げた。
「やはり敵軍にござりまする」
「何。やはり上杉勢か」
「長い長い縦隊をもって北へ北へ進路をとり、犀川の方へ向っております」
「その先鋒は、犀川を渡ったか、渡らずにあるか」
「その辺より、右折して、次第に大きな彎月形を作っておりますが、あの歩足振りでは、合戦が始まるにしても、さまで急に、捗々しいことには及ぶまいかと存ぜられますが……」
と、語尾をにごして、浦野民部左衛門は、信玄の眼を見た。信玄は、彼の眼のうちのものを「うむ」と、大きな頷きと共に読みとった。
物見の報告にも、仕方がある。味方の士気を挫くようなこと、狼狽を駆り立てるようなこと、また、敵の強味などは徒に語らぬが法とされている。――とはいえ真を語らなければ主将たる人の判断を誤ろう。眼をもって伝えることもあり、口をもってわざと主君の周囲を偽ることもあり得る。