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けんなんじょなん

剣難女難

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页

青空文庫

「これ、やかましいお話は後ほどになさらぬか。そして、早く御方様を連れて、お召の衣、お風呂の支度など、急がねばお体に触りますぞえ」

「はい」

老女にたしなめられた腰もとたちは、やッと落ち着いて、屋形の中へ声をかけた。屋形船といっても、これは、一見して、普通の町人用のものとは違った造り、金鋲御簾づけの絢爛な三挺櫓であるが、暴風雨は公平に、この高貴なご料をも、さんざんに揉み悩ましたものと見えて、紫のまん幕、金襴ぶちの御簾までが、無惨に吹きちぎられていた。

「御方様。お迎えの者が出ております」

寮の用人とも見える侍が、舷にひざまずいてこう云うと、破れた御簾のうちから、妙なる答えが低く洩れて、御方の姿が、半ば月の光に照らし出された。

「おお、よい空になりましたこと……」

呟やいたまま、うっとりとして、三叉の銀波、佃の芦の洲などに眼を取られて、すぐ桟橋へ上がろうともしなさらない。

月のせいばかりとも思われぬその顔は、白琅を浮き彫にしたような、好ましい白さと、くッきりした線を描いている。芳紀のほども、美しさに過ぎて、幾つぐらいとも計りがたいが、蘭瞼細腰の羅すがたは、むしろ天女に近いと云ってもいい。