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けんなんじょなん
剣難女難
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页
「憎いやつ!」
御方はその胸元へぷつりと切ッ尖を落した。その頃はもう、寮の建物はほとんど大紅蓮にくるまれて、まっ赤な光りの中に躍る影が、敵やら味方やら見分けもつかない程であった。
が――御方は何となく胸が晴々してきた。嫉妬も瞋恚もみなその紅蓮となって燃えきってしまうような快さに酔った。
ただ、ふいと気がかりになったのは新九郎の安否。果たしてあれ程の白刃の中を、斬り抜けてくれたかしら? ――と案じだすと、御方はもう矢も楯もなくなった。お延の血に洗われた小太刀を持ち直して、愛熱の化身そのもののように、焔の中へ愛人を救いに走った。
けれどもうそこには叫喚の声もなく、人影もなくなっている、ただ何ものも焼燼する大紅蓮の舞躍があるばかりだ。御方はぜひなく、裏手の石垣から小舟に降りて大川へ逃げのびた。その大川の水も、湯になるかと思われる程赤々と揺れ返っていた。
×
もと将軍家のお船見屋敷であり、今は家綱の愛妾お通の方の姉にあたる光子の御方の住居が、一夜に焼失してしまったことは、江戸でも近来の椿事と誰もが驚いたらしい。驚いたのは、火事そのものでなくて、その原因であった。