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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
私は長の手を握った、「――どう、まだぼくのことを思いだせないか」
「さあねえ」長はたよりなげな微笑をうかべた、「わかんねえなあ」
「釣りに来るよ」と私は云った。
鉄さんの店の若者が二人と長とが、車の脇に立って見送っていた。私たちは車に乗り、車は走りだした。
「よかったわ、ほんとに」と木村ふみ子君が感動のこもった口ぶりで云った、「沖の百万坪も石灰工場も、――あの人たちまでみんな、いま青べか物語から出て来たっていう感じだったわ、ほんとうによかった」
私は初めから終りまで、長の名を呼びすてにしていたし、長もしごくあたりまえのようにそれを受けいれていた。数えてみると、私が浦粕を去ってからまる三十年になる。長も四十一歳、子供も五人いるということだ。その彼を「長」と呼び、彼が「おう」と答えるとき、私の心には三十年という時間の距離はなかった。にもかかわらず、彼には私の記憶がないのだ。青べかのことを訊いてみたが、それもごくかすかに覚えている程度とみえ、「なにしろ古いことだからねえっ」と云って話をそらしてしまった。したがって、題名の青べかがどうなったかは、ついに不明のまま、この物語を終らなければならない。