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けんなんじょなん

剣難女難

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1925(大正14)年1月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 243,807 字 · 482 页

青空文庫

「恐れながら一月と二十日余りは過ぎましたかのように心得ます」

「そうじゃ、もうじき二月は経つ、それだのに正木作左衛門は病気と申していまだに伺候せぬが、最早全快致しておろう、表役人に申し遣わせて急ぎ登城せいと伝えい」

「はッ……」

と近侍の者は旨を受けて辷りかけると、

「これこれ、重大事があるに依って――と特に申せよ」

と念を押した。

成程、もういつか春も四月に入っている――と忠房はその後で今更のように気づいた。まったくどれほど他念なくこの十数日を暮らしたかもそれで知れる。

明け放された塗骨の障子からいながら見える春の善美を花籠に盛ったような奥庭の築山、泉水、そして重いほど咲き満ちた糸桜が廻廊の杉戸へ胡粉のように吹き散ってゆく絢爛な眺めも今の心には何の慰めにもならない。殊にこの頃は晴の当日を気構えた若侍たちが、一心不乱に稽古しているので、その撓刀撃ちの音が、この寂光の奥殿まで聞こえてくるほどであったが、忠房の憂惧は少しも軽くならなかった。

鞍馬の謡曲を口ずさみながら、そのじりじりとする懊悶を紛らわすように黒塗の欄へもたせた忠房の後ろに待ちかねた近侍の衣音がしたので、はッと振り顧った。