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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
冗談を云われたり、躯に触られたりしても怒らないばかりでなく、すすめられると酒でもビールでもかなり飲み、少し酔うといい声で唄もうたった。
或る日、葛西汽船の二十八号が発着所へ着いたとき、おさいは岸へいって機関室を覗きこみ、元井エンジを認めて声をかけた。
「エンジさん、暫くだね」とおさいは云った、「たまにはうちへも遊びに来せえま」
彼は微笑し、ちょっと片手をあげてみせたが、口はきかなかった。
次のとき、彼女は自分の子を抱いていて、洗い場の石段を二十八号船の側までおりてゆき、元井エンジを呼んで、これが布佐で生んだ子である、と揺りあげてみせた。
「名前ははるみって付けたの」と彼女は云った、「可愛いでしょ」
彼は微笑しながら頷いた。なんの意味も含まない微笑で、やはり口はきかなかった。
こういうことが幾たびかあった。おさいはそのたびに「遊びに来い」とさそった。彼は微笑をうかべて、頷いたり、手をあげてみせたりしたが、それは機械的で、少しも感情のこもらないものであった。そして或る夜、――元井エンジが晩めしを済ませ、燭光の弱い電燈の下へ将棋盤を据えて、例のとおり自分に話しかけながら駒を並べた。