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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
そして船がBの発着所へ着くときには、ちゃんとBで待っている娘に贈られた草履をはいて、その事実を相手の印象にしっかりと焼き付ける。これがCからD、DからE、Eから――と順を追って、正確に、決してAとCやEとFとを誤ることなしに繰返されるのであった。――これは一種の天才だと云ってもいいだろう、十五六足もある草履の、鼻緒の色によって贈りぬしを弁別するばかりでなく、いそがしい見習い水夫の甲板勤務に追われながら、間違いなく草履の「はき替え」をやってのける、などということは、天才なしにはとうていできがたいことなのだ。なぜなら、こういう類いの問題について後年、筆者みずから銀公の才能がいかに非凡であったか、ということを身にしみて感じた経験があるからである。
浦粕でも、彼に熱をあげている女性が幾人かいた。高品さんの女中のとみちゃんもその一人であった。繰返すようだが、高品家は東湾汽船の大株主であり、高品さんの蒸気河岸の住居では、発着所を経営していた。これは夫妻のあいだに子供がなく、高品さんは東京の新聞社へ通勤しているため、きん夫人はとかく暇をもてあますので、その暇つぶしにやっていたものだと思うが、――切符売場は住居とべつで、発着所の桟橋と道を隔てたところに建ってい、ほんの二坪足らずの小屋であるが、奥に畳が二帖敷いてあった。