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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

とお兼はいかにも意外そうに呼びかけた、「こんなところでなにしてるの、あら、勉強ね」

助なあこは本を閉じ、振り向きもせずに、じっと固くなっていた。彼は全身が火のように熱く、心臓が喉までとびだして来るように感じた。お兼は斜面へおりて来て、彼と並んで草の上に腰をおろした。すると、あま酸っぱいような女の躰臭と、白粉の匂いとが入り混った、なまあたたかい空気が彼を包み、彼は頭がくらくらするように思った。

「もう春もおしまいだねえ」お兼はその言葉の品のよさに自分でうっとりとなりながら云った、「水の流れと人の身はって、はかないもんだわねえ」

陽の傾いた空にはうすい靄があって、根戸川の広い水面は波もなく、まるで眠っているように静かだった。あたためられた土の香や、若草の匂いがあたりに漂ってい、対岸の若い芦の茂みでは、ときどきけたたましく小鳥の騒ぐ声が聞えた。

「けけちかしら」とお兼が云った、「まだけけちにしては早いかしら」

見ると助なあこはふるえていた。蒼く硬ばった顔を俯向け、膝を抱えた両手の指を揉みしだき、下唇を噛みしめながら、躯ぜんたいでふるえていた。お兼はふしぎなよろこびを感じた。