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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
晩秋のその一日は、他の一日と少しも変りがなく、静かにゆっくりと時を刻んでいった。午後になって、石灰を受取りに来た船が着き、工員たちの大部分が、叺の積込みに当った。――彼は釜の係りで残り、焚口を覗いて火を見たり、薪を投げ入れたりしていた。季節とは関係なしに工場の中は暑く、石灰粉の微粒は渦を巻いたり、条を描いたりしながら、白くて厚い幕のように漂い溢れていた。
片隅に積んである薪を、焚口の側へ移そうとしたとき、彼は強い女の匂いに気づいた。錆びた鉄となにかの動物の乳を混ぜ合せたような、強い刺戟性の匂い、それが彼女の躰臭だということは、その姿を慥かめるまでもなく、はっきりと彼にはわかった。
彼は首だけでそろそろと振り返った。頸がねじれると、こびりついたまま乾いた石灰粉が、かすかな音を立てて剥げ、頸の横に幾筋か、茶色の肌が条のようにあらわれた。彼女はすぐそこにいた。戸口からはいって来て立停り、ぐあいが悪そうに下帯を直し、ひどく疲れたような足どりで、薪を置いてある隅のほうへいった。そのうしろ姿を見まもっていた彼の眼が、急に細くすぼまり、下唇が垂れて歯が覗いた。