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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

彼は船で使う草履や、塵紙、鉛筆、雑記帳などを買うとか、また、ときたま食事をしに寄る程度だし、そんな場合にもおさいに話しかけるのはおろか、眼をあげて顔を見ることさえなかった。――どんなふうにして二人が将来の約束をするようになったか、知っている者はない。或るとき、洋食部で彼がなかまにからかわれていた。小学校も満足に出ていないもくしょうが、エンジナーになる勉強をしているというのは、禿頭で髷を結うようなものだ、などというわけである。彼は相手にならなかった。怒りと恥ずかしさのために、――というのは、そういう勉強をしていることは内緒にしていたからで。しかし彼は、赤黒く充血した顔を伏せ、黙ってライスカレーの匙を使っていた。するとおさいが出て来て、からかっているなかまをやっつけた。五号船のエンジンどころではなかったらしい、日にやけた彼女の顔が蒼ざめて細くなり、眼から涙をこぼしていたそうであった。

二人がいい仲になっている、という噂はそれから弘まった。いろいろな評が取り交わされ、いっとき「もくしょう」の存在が大きく、蒸気乗りたちを圧迫した。臼田屋のおさいをものにしたということ、しかも相手がもくしょうだとあってみれば、影響の大きさと強さは尋常ではなかったのである。