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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

私もそのころはまだ初心級で、一度に二合とは飲めないくせに、飲みたくなったときには一合買いをする、という経済状態だったから、一升壜が手許にあるということは、その豊かさと幸福感の心理的効果だけでも計り知れないものがあった。そこへ栄子があらわれたのである。「喜世川」というのは小料理屋で、これは幾たびも記したようにごったくやと呼ばれ、料理や酒よりも、女中たちによる特殊サービスを本業としている店であり、栄子もその一人であったが、典型的な一人というほうがよりわかりやすいと思う。――彼女は表からあがって来ると、小さな安物の茶箪笥をあけたり、そのあいだ休みなしに饒舌り続けながら、たちまちのうちに膳拵えをしてしまった。私は机に向って、自分で釣った鯊の煮浸しの小皿を脇に、本を読みながら飲んでいたのであるが、こうなっては栄子にさからってもむだと思い、その折りたたみの古ぼけた膳の前へ坐り直した。栄子は「冷のほうがあとまできいていい」と云い、一升壜からじかに湯呑へ酒を注いだ。私はそれを見て、自分の燗徳利だけは確保しなければならないと決意し、それを自分の前へしっかりと据えた。