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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
私はしっかりして、口をつぐんだ。
栄子は話しだした。――その出来事は五年まえの十月だったという。相手の男は岸がんと呼ばれ、華やかな病気専門の売薬で名高い「峰岸屋なにがし」という店の外交員であった。岸がんの「岸」は本舗の峰岸の一字であり、がんちゃんというのが男の名であるが、がんとはどういう字を書くのか、また「がん太郎」であるか「がん造」であるのか、栄子はまったく知らなかった。――あとで私がその点を糺すと、栄子はうるさそうに云った。
「心中するんだからって、名前を知ってなくっちゃならないってもんじゃないでしょ、寄留届をするんじゃなしさ、つまんないとこへ水を差さないでよ」
岸がんとは半年ほどの馴染だったという。年は二十八だと云っているが、栄子の見たところでは三十二歳より下ではなかった。逞しく陽焼けのした、にがみばしったいい男であり、栄子の馴染ときまったときには、浦粕じゅうのごったくやの女たちみんなが、嫉妬のあまりやけくそみたようになったそうである。――岸がんは赤いオートバイでやって来た。店名を派手に白抜きで書いた車で、「ガスをひるときの音がすてきだった」