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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
「来たのは九時ごろかしら、ずっと不景気が続いたときで、うちには一合の酒もないのよ」と栄子は云った、「岸がんにそ云ったら、今夜は心中する晩だから少し都合して来たって、一円さつを三枚も出したじゃないの、あたいやっぱり大川に水絶えずだなって思っちゃったわ」
彼女は自分が酒と肴を買いにいった。一と二〇で酒を一升買い、〇・三〇で干物とうぐいす豆と佃煮を買い、残りはかあさんに渡した。するとかあさんは悦にいって、岸がんのことを福の神だねえと云ったそうである。
「それから二人で飲みだしたんだけれど、これから心中しようっていうばやいでしょ、いくら飲んだって酔やしないわ」栄子はおくびをして続けた、「いろいろ思い出ばなしをしたり、親きょうだいのことや、お互いに運の悪い生れつきのことなんか話しあったでしょ、二人ともすっかり身につまされちゃってさ、しまいには抱きあって泣いちゃったわ」
十一時に店を閉めた。ほかには客が一人もなく、かあさん夫婦も女たちも寝ついた。そこで岸がんが「やろう」と云いだした。十二時過ぎたころで、栄子はもう少しその気分に浸っていたかった。これで心中するのかと思うと、酒の酔いとはまったく違った、なんと云っていいかわからない酔いごこちと、止めようとしても止らない甘い涙とが、そのまま終るにはいかにも残り惜しかったので