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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

彼女は私をじっと見あげ、つくづくと見てから、ゆっくりと白髪の頭を左右に振った。まえにも肥えていた躯つきに変りはないし、肉の厚いまる顔も、皺が多くなった程度で、あのころと少しも変ってはいなかった。私にはそれがはっきりしている、その人は「男の独りぐらしは」と、よく私に小言を云ったし、掃除をするからと云って、私を外へ追い出したものだ。その人がそこにい、私にはその人がわかるのに、その人には私がわからない。私を見あげた眼つき、すっかり白髪になった頭を、力なく、ゆっくりと左右に振った動作、それは紛れもなく「記憶がない」という意味を表明するものであった。

「かなしいな」私は道のほうへ歩きだしながら呟いた、「人間なんてかなしいもんだな」

私は自分の胸が空洞になり、そこをこがらしが吹きぬけるような、云いようのないかなしさに浸された。云いようのないかなしさ。いまでもそう云うほかに表現する言葉がみつからないのである。私は二人の同伴者と通船に乗ったとき、もう二度とこの町へ来ることはないだろう、と心の中で呟いた。

三十年後

十月下旬の或る日、私は二人の同伴者とともに浦粕町へいってみた。