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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
――綿屋のおつゆちゃんは十二でちょぼちょぼと生えた。
――どこそこのおっかあは誰それとくっついた。
女の子だけに情緒的なことがらのほうが多かったが、私の材料ノートはそのために得るところが少なくなかったのである。私は静かに老夫妻のほうへ歩み寄り、帽子をぬいで会釈をした。
「暫くでした」と私は云った、「お達者のようでなによりです」
二人はそろそろと顔をあげて私を見た。なんの反応もない顔つきであった。
「蒸気河岸の先生ですよ」私は笑ってみせながら云った、「おたまちゃんはどうしていますか」
娘の名を聞いた瞬間、二人は躯をぴくっとさせ、にわかに表情を硬ばらせた。それは警戒のようでもあり、恐れのようでもあった。どちらにしろ、おたまに「なにかあった」ということ、それが老夫妻に強い打撃を与えた、ということは慥かであるように思えた。
「旦那は」と父親のほうが、棘のあるかすれた声で訊き返した、「どこのどなただかい」
私は母親を見た。
「おばさん、忘れましたか」と私は云った、「そら、蒸気河岸の先生ですよ、ぼくの家へよく掃除に来てくれたでしょう」
蒸気河岸のこれこれと、本名まで名のったが、おたまの母親にはまったくわからなかった。