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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

すると、穏やかな返辞をしながら、その人が出て来た。年はもう七十に近い筈だが、ずっと若くみえるし、柔和な顔だちには明らかに見覚えがあった。長が説明をし、私もまた話した。彼女はあいそよく挨拶はしたが、私のことを思いだしたようすはなかった。

「あがって茶でも飲んでくんなよ」と長が云った。

「いや、それよりも沖の百万坪へいってみたいんだ」と私は云った、「ずいぶん変ったようだが、まだ沼や荒地はあるだろうか」

「家がどっさり建っちゃったよ」と長が云った、「見にゆくんならおらが案内すべえか」

「しょうばいのほうはいいのかい」

「店のほうは番頭がいるからいいだよ」そして長は母親に振り向いて云った、「ちょっと百万坪までいってくんからな」

私もまた「あとで寄ります」と断わって、千本の店を出た。

東へ通ずる堀の、以前よりも根戸川へ寄ったところに、高い橋が架かっていた。その堀の両岸にも、やはり防波堤があり、橋は高いので両端は石段で登るようになっていた。キティ台風のときひどくやられてから、そういうふうに波除けを作ったのだという。――その橋を渡り、根戸川の河岸に出て、川下のほうへくだると、すぐ左側に石灰工場があった。