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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
それを買ったとき私は爺さんに、ペンキを剥がすようにと頼んだのだ。
「おらそう云っただよ」と老人は私の手を眺めながら喚き返した、「そう云っただが塗っちまっただよ、まあしょうなかんべや、剥がしても塗っても青べかは青べかだでな」
爺さんは私の手と袂を、意味ありげな眼でちらちらと見た。
「棹や櫂はどうするだ」と老人は訊いた、「なんならおらが世話すべえか」
私が答えると、爺さんは耳に挟んでいたタバコの吸いさしを取り、いまいましそうな眼つきで「マッチ」と云った。私は答えて礼を云い、振り返って家へ戻った。
私の借りた家は、蒸気河岸から百メートルほど北にある一軒家で、東は広い田圃、左右は草のまばらに生えた空地、西が根戸川の土堤になっていた。土堤の上はずっと上流の徳行町まで続く道があり、人の往来はあまりないが、話しながら通る者があると、四帖半で机に向っていても、その話し声はよく聞えた。――その日の午後おそく、私の予期していた騒ぎが起こった。それは避けることのできない関門なのだ。東京から大阪まで汽車でゆくのに、丹那トンネルは避けることができるが、大井川や天竜川の鉄橋を避けることはできない。