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あおべかものがたり

青べか物語

山本 周五郎

「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页

青空文庫

洗い場の杭につないであった青べかは、もうそこには見えないのである。私は踏段をおりながら、さてはひっくら返したかと思い、洗い場に跼んで水中をすかして見た。黄昏の、片明りに光る、水面の下をすかして見ると、青黒く藻草がゆらめいてい、なにかの稚魚が群れをなして、さっと片方へはしり、すぐにまた片方へさっと走るのが見えた。けれども舟はみつからなかった。単にひっくり返されたのなら、杭にともづなで縛りつけられている筈だが、そのともづなまでなくなっていた。

「ふん」と私は呟いた、「やりゃあがったな」

私はやつらが青べかを流したと思った。

そのとき私がさばさばしたというのは嘘だ。なにしろ当時の私としてはたいまいな代価を払っている。豚肉やタバコや精神的な損失をべつにしても、それは決してさばさばするような金額ではない。ちょうどいい機会だからうちあけておくが、浦粕時代の私の収入は、中・商という商業新聞の家庭欄に、週一回ずつ載る童話をときたま書かせてもらい、また少・世という少女雑誌に、少女小説を買ってもらっていた。前者は高品さんという浦粕の名家の息子で、中・商紙に勤めていた人の世話であり、後者は少・世の編集長で、のちに高名な小説作者になった井内蝶二の好意によるものであった。