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あおべかものがたり
青べか物語
山本 周五郎
「文藝春秋」1960(昭和35)年1月号~1961(昭和36)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 160,888 字 · 317 页
にもかかわらず、駄竿で浮子下も計らないような私のほうが釣れて、そのベテランふうの人にさっぱり魚がかからないとなると、その人に対してというより、自分自身で一種の良心の咎めを感じるのである。
そういう例は稀ではなかったので、脇に人が来ると場所を変えるのが、私の習慣になっていた。ところがそのときはそうはいかなかった。私が竿をあげようとするまえに、脇で釣りだした人が私に呼びかけた。
「人はなんによって生くるか」
私はそちらへ振り向いた。
「人は」とその男はまた云った、「なんによって生くるか」
その男は五十年配で、綿入の布子に綿入の半纏を重ね、垢じみた毛糸の衿巻を頭から頸へぐるぐる巻きつけていた。顔はよくわからないが、固太りの頬に胡麻塩の髭が伸び、厚い大きな唇や、ぎょろっとした眼つきに、どことなく土建会社の現場監督といったような、威厳が感じられた。
「なんですか」と私は反問した。
私はなにか釣りに関することで話しかけられたのだと思った。場合が場合だから、そんな深遠な人生問題、むしろ哲学的な命題について一拶をくらおうとは、夢にも思わなかったのである。
その男は現場監督が怠けている労働者を見るような眼で私のことを見、そうして、こんどは一と言ずつ句切って、同じことをはっきりと云った。